抜粋やぶにらみ続編 福神漬
2010-04-24


故あって四月から五月にかけて生まれてはじめて入院生活を味わった。 どこでも同じなのだろうが、病院食というのは人間の嗜好をまったく無視しての薄味で、青菜を味も付けずに、食すことにも出くわす。 キッコーマン人生で過ごして来たものにとって、出される食事の内容よりも味付けがなんとかならないかと思うのは、入院患者皆同じで、ベッド脇の小物入れにはだれもが押しなべて、醤油や梅干しをこっそり忍ばせている。 そんな入院生活の最中に、隣の同病哀れみの患者からいただいた福神漬は、天国から差し入れられた逸品の様で、退院後の今でも舌にその味わいを残す。
約五十日の床病生活でライスカレーが出たのは一回だけ。 勿論福神漬が添えられていたが、それ以外は毎日青菜や香の物が出ても、福神漬が顔を出す事はなかった。 病院食はすべてカロリー計算が行われる関係か、塩分が多いのか知らないが、福神漬は一品として認知されていないのではないかと自問自答するはめになった。 普段気にとめていないのに入院生活で福神漬が気になったのは、いかに病院食が通常と違うものかを教えてくれた。

江戸末期の上野の町でも、特に広小路と呼ばれる地域は遊興の町として下町の一角をなしていた。 食い物やも多く連玉庵の蕎麦屋、寄席の末広亭(のちに鈴本も誕生する)などとともに、漬物と煮豆を商う酒悦が古くからこの界隈に軒をならべていた。 不忍池などの賑わいが聞こえてくる場所であるが、上野は谷中、根津、根岸など大根をはじめとする江戸野菜の生産地にも程近い地であった。 切り干しの大根、ナタ豆など七種類の乾燥した野菜を甘く味付けしたたまり醤油に漬けて仕上げたのが酒悦の福神漬で、当時から谷中にある七福神の寺杜から名前をいただいて、酒悦では福神漬として売り出した。
いまでもそうだが、この福神漬は二種類ある。 ビン詰などにされる上物と、キロ単位で包装されている安物があり、前者は進物や詰め合わせなどにされる、後者は業務用として食べ物業界に多く使われるものと、酒悦では戦前から縁日などの特売品などによく使われている。 上物は漬け込み期間も長いので、色濃く仕上がっており、素材に十分味が染み込んでいて美味なものだが、安い方は紅を使用している関係と、漬け込み期間が短いので、色合いが派手な感じが特徴。 居酒屋でも、食堂でも香の物、お新香はメニューとして存在するが、福神漬はなぜか金を取る商品や一品として献立に載る事がないのはなぜなのか。 価格的に考えても、紅生姜などにくらべればコストの点でも高く現実に牛ドン屋のカウンターには福神漬は置かれていない。 勿論牛丼の本来の香の物は浅漬の野菜が本流で、紅生姜は吉野屋あたりが考えだした安直なサービス。 普段ほとんど福神漬を食べたくなる事はないが、ではライスカレーの添え物以外に用途がないのだろうか。

断りもなしに戦後、誰云うとなく支那ソバは中華ソバになり、ライスカレーがカレーライスになった。 もともとライスカレーは下町の洋食屋とか、そばやの店屋ものとして生まれ、クロンボの商標のSBカレー粉の普及で、家庭料理となった。 ちょっと煮えが足りないニンジンや、ジャガ芋が入っていつもおふくろは小麦粉を入れ過ぎるので、翌朝残ったライスカレーを食べるときは、暖めなおすのに水を足してもどさないと、ダンゴ状になっていたのが伝統的な家庭のライスカレーであった。
たまには気取ってラッキョが二、三粒添えられていることがあったが、福神漬はライスカレーの友として、不可欠の存在で、皿の協にわずかに福神漬のたまり醤油の色が残っていることが、カレーを食した証拠でもあった。


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