抜粋やぶにらみ続編 やぶにらみ瞥見新香港空港
2010-04-24


スターフェリーの脇を大会堂に沿って抜けると、女王陛下の軍隊である英国軍の宿合や兵舎、そして中核となるプリンス オブ ウエールズビルがあって、衛兵が一昨年までは不動で佇っていた。 小さな衛兵交替式も見かけたものだ。
過日この前を通ると、兵舎のすべては取り壊され、サラ地になってしまっており辛うじてプリンス オブ ウエールズビルが残っているだけで、英国の植民当地時代の片鱗は既に消えている。 市中の郵便ポストも一部をのぞいて赤い色のものは姿を消した。 赤い郵便ポストはいまや英国本国と日本そしてシンガポールなど若干となった。 ドル堅調の影響か観光客が激減している最近の香港ではアメリカン英語が花盛り、米国からの観光客だけがやたら目に付く。 変な話だが以前香港で聞く英語は英語であって米語ではなかった、勿論豪州の連中が喋るコクニー訛りはあるが、米語ほどにぎやかではない。 いまや空港に米国機と中国機が多数飛来し、北京語と米語が皇后大道中や弥敦道に溢れる。 中国政府は穏便にして着実に香港に変化をもたらしている。 地上げ、家賃値上げの結果、多くの小市民の仕事を取り上げたり、廃業に追い込んだりして確実に中国からの資産へと変換を続けていると香港住民は云う。
以前にも述べたが、英国系住民の締め出しは継続されていてパブなどで職を得て居た人々はパブの倒産で職を失っている。 巧みな操作で英国系のパブなどが閉店に追い込まれている様だ。 居抜きで経営者が変わり、次に周辺の業者も店を閉め、まとまった土地を買い占めてビルに変わるのが最近の典型的パターンとなっている。 また、高層住宅の建設は依然として順調で好条件の物件は抽選で入居になっていて、片や不況にあえぐ面と相対しているのが最近の香港でもある。
九竜地区の一流ホテルの宿泊料金は九八年三月が千四百ドルだったのに、十一月には七百五十ドルまで下落。 町中どこもが季節外れのセールだらけ、どうなっているのかと心配しながら新空港プロジェクトをやぶにらむ事にしたが、このプロジェクトに関する限り、中国政府香港特別行政区の手腕に拍手を送りたい程の見事なスタートである。

一九九八年七月四日、香港は一九三○年代から使用してきた啓徳空港を閉鎖して英中最後のプロジェクトといわれた新国際空港チェクラプコクエアポートを開業した。 香港島の西側に位置するランタオ島の北側で面積は九龍半島の租借地とほぼ同じ広さを持つ。 永年にわたりホンコンカーブと呼ばれたビルの間すれすれに離着陸するコースを楽しんできた旅客にとっては、新空港はまるで勝手が違い他国の感じさえする。 なんとも広いのである。 東京からのフライトではランタオ島上空に達する前に下降をはじめ同島を東西に横切る。 再び東シナ海に出た後に右旋回を行い、最終着陸態勢を取る。 従来ではこの高度ではビル群が両側の窓に展開していたのであるが、いまや海だけがあるのみ。 やがて軽い揺れと着地の振動、逆噴射で新香港空港に到着となる。 新空港の構造は三層階のボーディングデッキ部分と七層階のターミナルビルで構成されている。 丁度アルファベットのY字形にボーディングデッキが伸びている。 Yの先端部分の両側にジャンボが両側に十機程度係留出来る設計で日本航空、ユナイテッドなどが現在V部分の左側を使用、階上には日本航空のサクララウンジなどが設置されてる。 右側は現在も工事が続行中でまもなく開業となる。 中央のY字の足部分にあたる場所にも二〇機以上が直接ボーディングブリッジで接続される。 開港時では三十八の登場橋(ボーディングブリッジ)が設置されるが早晩四十八に増設される。
Vの付け根部分から足の一番下までの約一キロの部分を無人地下鉄で結んでおり、到着や出発旅客でV部分の搭乗口を利用する人々や、到着客の輪送を行って居る。 啓徳時代から香港空港の利便的方式である到着客と出発客を別階通行とする方法はこの空港でも採用されていて、到着・出発の旅客はぶつかる事がない。 ボーディングブリッジの先端を上下階に振り分ける事によりワンウエイを作り出している。

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